磯子・杉田の歴史! |
杉田八幡宮 |
杉田八幡宮参詣のしおりより、転載。 |
鎮座地 |
横浜市磯子区杉田5−2−1 |
創立 |
康平六年八月 |
御祭神 |
應神天皇(誉田別命) |
例祭日 |
平成壱拾七年は、八月二十七・二十八日です。(現在は、土日に合わせています。) |
御由来 |
境内地は弐百八拾八坪にて杉田町の鎮守である。
今より九百壱拾四年前後冷泉天皇の御代、康平六年八月の創立と伝う。
天喜五年九百壱拾九年前
鎮守府将軍源頼義公その子八幡太郎義家公と共に勅を奉じて奥州の安部貞任を討ち宗任を降ろして帰路武州、相州両国に鎮祭して、山城国石清水八幡宮を勧請し、永らく源氏の武運長久を祈願しようと、
頼義は鶴岡八幡宮を義家は杉田八幡宮を勧請されたのもであります。そのときが康平六年八月である。
後年建久三年大将源頼朝公より当社に社領を授けられて久良岐郡の総社と定められたものであると伝う、それから四百八拾余年を経て、延宝二年には時の領主間宮左衛門尉信広が社殿を再建して、永一貫参百文の田園及び山林を寄贈し、久良岐郡壱拾弐箇村の総社と定められる。後間宮家他に移住するに至ってからは当社も衰退し、総社の名を自ら廃滅するに至った。
明治六年村社に列せられ、大正十一年五月神饌幣帛料供進の神社に指定される。その後社殿の荒廃が甚しく昭和四三年社殿の御造営が行われ、同年八月竣工され現在に至る。 |
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杉田八幡宮の
封筒にあった
イラストです。 |
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軽井沢の方の碓氷峠付近の神社にも同じような狛犬が、あるそうです。 |
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杉田の梅の由来 |
元来、米作りには不適切な杉田は約四百年前
領主 間宮信繁が、梅樹の植付けを奨励その実を
売って生活の一助とさせたのが後年杉田梅林
となった起因です。最盛期には三万六千本に
も達し江戸中期から明治前年にかけて多くの
文人墨客が杉田を訪れました。この梅林も
現在ではその面影はなく僅かに妙法寺境内に
数十本を数えるのみで、地名として梅林団地、
梅林小学校などがその名残を留めております。 |
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*磯子区区政80周年記念誌より転載です。 杉田の梅園の様子が描かれています。 |

*磯子区区政80周年記念誌より転載です。 |

*磯子区区政80周年記念誌より転載です。 |
海鼠(なまこ)の記念碑が、16号線聖天橋交差点ローソン前に出来ました。 |

現在国道16号線JRガード下 (セブンイレブンの少し南方面です)に、記念碑が、ございます。
新杉田の杉田劇場は、この劇場にちなんで、つけられたそうです。
*磯子区区政80周年記念誌より転載です。 |
記念碑場所にて |
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マイウェイNO69 2008 横浜開港150周年 財団法人設立二十周年記念号 P81磯子小唄より抜粋 発行財団法人はまぎん産業文化振興財団 |
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